喜捨の精神
こんにちは。雪ん子です。
前回は、友人が東京へ行った際のことを書きました。
今回は前回、書ききれなかった事を書きたいと思います。
友人が東京の、とあるモスクへ訪れた事はお伝えしました。
その際、友人と交わした会話の中のエピソード中で、これぞイスラム教というエピソードを、聞きました。
モスク訪問の時間は限られていたそうですが、
事務局の方とのお話中、ひっきりなしにモスクへの電話がかかってきていたそうです。
喜捨とは、困窮者への施しを意味します。
イスラム教の五行の内の一つです。
喜捨は大きく、ザカートと呼ばれるものと、サダカと呼ばれるものの2つに分かれているようです。
ザカートとは、義務的な喜捨で、財産税的なものです。
今回、東京でのケースは自由喜捨です。
この喜捨なんですが、先日読んだ本に、日本人には中々理解しがたいエピソードがあったのを思いだしました。
著者が、とあるアラブ圏へ留学した際のエピソードです。
留学当初、ある目的地へバスを乗って向かいました。
そして目的地へ到着し、降りようと思ってお金を出すと、後ろから1人の男性が近づいて来ました。
その男性は、『バス代が無いから、喜捨して欲しい』と著者へ言ったといいます。
著者は仕方が無いので、お金を渡しました。
ですが、その男性は憮然とした態度で当然の如く、そのお金を受け取ったのです。
著者は日本人なので当然、そこは、『ありがとうございました!またお返しします。』とか言うと思っていたので、怒りを覚えました。
彼らにとっては当たり前の事なんだろうけど、今回の出来事を聞いて、僕はますますイスラム教が好きになりました。
最近、涙腺が緩いのか、書きながら、熱いものが込み上げてきます。
一部の狂信的テロリストの行為で、イスラム教徒は怖いと言うイメージが日本では多分にあります。