第1章へ

こんにちは。雪ん子です。

皆さん、毎日、僕のブログを見て頂きまして、本当にありがとうございます。

ITオンチの僕が3月の初めにブログを開設させて頂き、現在、この記事を含めて62の記事を書かせて頂きました。

これも、拙い文章を皆さんが暖かい目で見て頂いたおかげです。

本当に感謝しています。

ブログ開設の目標としては、当初30日連続投稿を目指していましたが、連続投稿の結果としては41日を達成する事ができました。

そして、実は裏目標(笑)も掲げていまして、こちらはトータル1000アクセスを目標としていましたが、これも先日達成することが出来ました。

また、プライベートにおいては、次のステップへ進む為の、ささやかなセレモニーも行う事が出来ました。

思い描いている夢がどんどん実現してきています。

ほぼ毎日、ブログを投稿してきましたが、今回までを序章とし、一旦お休みしたいと思っております。

そして、皆さんから見て頂き、勇気を持って達成出来たこれらの目標を自信に変え、新たな第1章を進みたいと思います。

京都を世界に発信すること。

そして、日本と世界に貢献する活動。

まだまだ、始まったばかりです。

これからが本番になります。

この意志は恐らく、生涯を通じてのものになると思います。

そして、第1章からは、新たなスタイル、より専門的な事柄を含めた記事をゼロからじっくりと書いてみたいと思っています。

また、活動の経過を随時ご紹介させて頂きます。

雪ん子








考える事を考える

こんにちは。雪ん子です。

今晩は練習会があるのですが、昨晩、お話のネタを考えてたら、なかなか面白いのが出来たので、少し頭が冴えて寝つきが悪くなってしまいました(笑)

今日はメタ認知についてお話します。

仕事や考え事をする時、その時の自身の感情に左右されずに正確な仕事・判断をしたいものですよね。

ですが、なかなか上手くいかないという方は、今回お伝えします、メタ認知を使って、客観的に自分の考えを考えてみてはどうでしょうか?

メタとは高次のという意味です。

認知は外の世界にあるモノを知覚(嗅覚・触覚・視覚・味覚など)した時、それがなにであるかを判断したり、解釈したりすることです。

つまり、知覚により考える事です。

メタ認知=高次に知覚について考える事ですが、平たく言えば、考える事を考えるです。

考える事を考えるとは、具体例としては、僕が今日仕事をするに当たり、予想していなかった嫌な仕事が回って来たとします。

普通に考えるだけだと、『うわ〜最悪や!なんでこんな仕事くるねん、こんなん難しいし出来ひんわ!』って思い、感情もマイナスになり、やる気も失せてしまいます。

ですが、ここでメタ認知を使うと、第3者視点で自分を見つめる事になります。

『俺、嫌な仕事回って来て、テンパってるわ、でも、冷静になった方が後々良くない?』ともう1人の自分を出して、考えます。

そして、メタ認知で大切な事は、第3者視点で立つだけで無く、行動に移すこと。

『テンパってたけど、ここは一旦どこがわからなくて、嫌と思ってるんやろ?一旦、上司に相談してみよか、ここは感情を抑えようぜ!』

という様に、実際に行動としてのファーストステップを踏み出すこと。

メタ認知→客観的にみて正しい行動をする

感情に左右されずに、安定して仕事ができます。

仕事だけではなく、コミュニケーションなど、さまざまなシーンで活用出来ますので、是非、皆さんも試してくださいね。


セレンディピティ

こんにちは。雪ん子です。

昨日は丸一日、本漬けの1日でした。

徒歩圏内に図書館と大型書店があるのは本当にありがたいです。 

古書と新書が読めるのはいいですね。

最近のマイブームは和洋問わず、脳科学の本とかが面白くてよく読んでいます。

とある方の本によく、セレンディピティと言う言葉が出てきます。

予想外の偶然とか素敵な偶然といった意味のようです。

この、セレンディピティとかシンクロ二ティと呼ばれるものなんですが、昨日も体験しました。

昨日はある程度、目当ての本が読めたので、そろそろ帰ろうかと思ったのですが、普段は立ち寄らない会計関連の本棚が少し気になったので、眺めていました。

すると、偶々、下の方の会計書籍に挟まっていた、イスラム関連の本を見つけました。

これは!と思い読んで見ると、多くのイスラム圏の人達が日本に対する親日感情を持っているという事実を歴史や宗教・文化背景より分かりやすく解説している本でした。

歴史で言うと、日露戦争での日本の勝利が、多くのイスラム圏の国民を奮いたたせたようです。

あの我々を苦しめて来た強国ロシアに日本は勝利した。

エジプトの詩人ハーフェズ・イブラヒーム(1872〜1932)
『日本の乙女』
砲火飛び散る戦いの最中にて
傷つきし兵士たちを看護せんと
うら若き日本の乙女、立ち働けり、
牝鹿にも似て美しく汝れ、危きかな!

いくさの庭に死の影満てるを、
われは、日本の乙女、銃もて戦う能わずも、
身を挺して傷病兵に尽くすはわがつとめ、
ミカドは祖国の勝利のため死をさえ教えたまわりき。

ミカドによりて祖国は大国となり、
西の国ぐにも目をみはりたり。
わか民こぞりて力をあわせ、
世界の雄国たらんも力尽くすなり。

イランの詩人ホセイン・アリー・タージェル・シーラーズイーも日露戦争後に以下の詩をよんでいます。

『ミカド・ナーメ(天皇の書)』
東方からまた何という太陽が昇ってくるのだろう。
眠っていた人間は誰もがその場から跳ね起きる。
文明の夜明けが日本から拡がったとき、この昇る太陽で全世界が明るく照らしだされた。

この様に、イスラム圏の詩人も、日本の勝利を多く書き、多数のイスラム圏の国の人々が日露戦争に勝利した日本を高く評価しています。

また、宗教・文化的な点でいうと、以前、スリーピングムスリムの記事の中でも少し書きましたが、アラブ人が日本人を評価するのは、その倫理道徳の高さにおいても一理あります。

『日本はムスリムでもないのにイスラムの教えを実現している』

イスラムの善は誠実、禁欲、慈悲などで、それらを多くの日本人から感じ取るということです。

人間には多くの善も悪もあるので、出来るだけ多くの善なる行いをしなさいというのが、イスラムの考え方だが、日本人は善を実行している人々が非常に多いと多くのイスラム教徒より見られている。

そして、この善で彼らにとって最も大切なものは誠実とされ、至誠という武士道の精神の伝統がある日本人は非常に評価されています。

このことから、イスラム圏国では非常に親日国が多いということがわかり、以前大型地震の際の各イスラム圏国よりの喜捨に対する記事を書きましたが、裏付けとしての理解をこの本よりする事が出来ました。

このセレンディピティをどの様に解釈するか。

言わずもがなですね(笑)

より僕自身の感情へ深く刻まれました。

そして行動への原動力にもなりました。

日々できることを頑張って行きます!


 















原則を崩す

こんにちは。雪ん子です。

最近は、海外での公文書の流出、東京トップの嫌疑など、巷では色々とグレーな話題が出てきていますね。

前回にもお話ししました通り、人と人とが作り上げる社会的システムは原則に基づいていて、バランスを保っているという事は絶対的なものです。

正当・公平な社会システムを維持する=正当な効果・評価を得る

そして、この原則も人の意思でプラスにもマイナスにも変化させることができます。

前回は主に能力と成果の原則を中心とした、安定した成果の出し方(プラス)について、お話ししましたが、今回はマイナス面について上記の角度からお話しをします。

『マイナスになると分かっていても、やってしまう程甘いもの。』

原則を壊すことによるマイナスは、完全に社会的な制裁を受けるもの、または疑わしい行為により信頼関係を壊すもの、そして、その両方を発生させるものなどがあり、共通して大きなデメリットが発生します。

社会的な制裁を受けるものの代表例は、皆さんもご存知の通り利益供与です。

未公開株を事前に近親者へ内通したり、株主の意見を聞かず、特定のグループだけに利益を与えたりすること。

当然、法的に罰せられ信用も大きく失います。

そして、冒頭でお話しした様な疑わしい行為は法的には罰せられないかも知れませんが、信用を失う可能性のある行為です。

冒頭のお話し以外には、例えば、全国的に人気のあるミュージシャンのチケットが一般の方限定で販売開始後、先着100名なのに、毎回同じファンが来ているなど。。
(一般の方がそのチケットを何としても手に入れる為に、相当な努力をしているのに関わらず、主催者の近親者から貰っているなど)

人間には欲があって、何がしかの利益(メリット)を近親者だけで味わいたい、また独占したい気持ちがあります。

そして、その気持ちは誰もがダメだと思っていても、やってみたくなる様な甘く誘惑のある行為です。

悪い事だとわかっていても、何度も繰り返します。

その事は過去や歴史が証明しています。

ですが、原則のバランスを崩すことによるデメリットの発生も絶対です。

どこかで、その歪みは溢れてきます。

そして、その原則の歪みを察知する能力を人間は生まれながら持っていると僕は思います。

それは、あの人だけズルい!とか言った嫉妬によるものかもしれません。

もしくは、もっと心の深い所から感じ取る、根本的な原則の歪みに対する不快感かもしれません。

会社であれば、代表者はこれ位の利益供与ならいいだろう、また、誰も気づかないだろう。と思っていても、もしかしたら、代表者のこれ位の利益供与は、全うに行動した、しかるべき人が受けるものであり、そしてその行為により、本来受けるべき人が大きな利益を失う事かも知れません。

そして、誰も気づかないだろうと思っていても、不当に利益を受けている人が原則の歪みに対する不快感を持っていたら、その人から他の人に知れ渡る事もあると思います。

どちらにせよ、遅かれ早かれ原則の歪みはじわじわと溢れ出てきて、初めは疑わしい行為と見られ、徐々に周辺にいる人達の嫌疑心が増長し、最終的に発覚、そして明るみになった時は社会的制裁、もしくは信頼関係の崩壊など、大きなマイナスになるのは間違いありません。

そして忘れてはいけない事は、この原則を崩す行為は、例えば100年全うに商売を続けて来た会社が、一夜で倒産への道を辿るような非常に強力なマイナスのエネルギーです。

僕はこの原則がある事を、しっかりと肝に命じて行動を取る必要があると思います。











相手の立場

こんにちは。雪ん子です。

昨日、今日と大阪は快晴の為、とても体調がいいです。

エネルギーが溢れる感じです(笑)

今日は、相手の立場に立って、物事を考え行動に移すことについてお話しします。

相手の立場だと、どう思うだろう?

この思考のポジションを変えることは、高度なコミュニケーションスキル、また、相手のニーズを読み取ることが出来る為、ビジネスにも応用ができます。

コミュニケーションスキルについては後日、機会があればお話したいと思います。

ビジネスに応用するには。

相手のニーズを読み取ること。

例えば、僕が海外から日本へ来る方々の立場に立った時、何歳(どの年代)・性別などを考え、どんなことがしたいだろうか?と。

インドネシアから来る若者は何をしたいだろうか?

ITの勉強、農業、漁業、医療機関への就職。などなど。

そして、その色々と出たニーズを具体的に実現することを考えます。

実現するには、色々な論理方法のプロセスが考えられると思いますが、その一つ、ロジックツリーを使うのもスタンダードでいいかもしれません。

課題を実現する為に先ずは大きく二つに分類する。
次に、その二つ更に各々二つに分類する。 
そして、更に細分化する。

そういった仮説を立てて行くと、超具体的にどうすれば、実現に辿りつけるか、という大枠が見えてきます。

それから、肉付け(行動)を考えていく。

シンプルですが、非常に効果的だと思います。

そして、ビジネスだけで無く、様々な問題に応用できると思うので、いつも僕は紙に書いたり、エクセルで作ってみたりしています。

皆さんご存知かと思いますが、アウトプットさせて貰いました。

喫茶店でモーニングも食べたので、そろそろ会社に行く時間です(笑)

今日も1日頑張ろう!


熱く生きる

人生は長い様で短い。

昨日も仕事終わりプレゼン練習会に行ってきたが、昨日はプレゼンとはこうあるべきと言うテクニック的な所を壊してプレゼンをした。

プレゼンのネタは前回あった飲み会の事を10分程度にまとめたモノだったのだが、身振り手振りと独特の世界観をもって、かなり熱いプレゼンができたと思う(笑) 

そして、昨日のコースはオブザーバーが本日のベストプレゼンターを各々最後に発表し、MVPを決めるスタイルなのだが、MVPには選ばれなかった(笑)

でも、1人だけ、プレゼンのテクニック的な所の評価ではなく、僕のプレゼンの熱量で見ていただいたオブザーバーの方が僕に一票入れてくださった。

嬉しかった。

日本人は特にそうだと思うのだが、ここはこうするのが普通だとか、そうするべきとか、とにかく枠に収まるのが諸外国と比べて、好きな民族だと思う。

もちろん、時と場所ではそうするのだが、なにか、折角この時代、この平和な国に生まれてきたのだから、抑圧した感情を解放的にして、常にエネルギッシュに生きていきたいと僕は思う。

その点、アーティストはすごい。

その感情を音楽やアートで爆発させている。

そして、そのエネルギーに人は引き込まれる。

時代も超える。

人生は長い様で短い。

さぁ、今日も1日精一杯生きよう!


日々の生活

こんにちは。雪ん子です。

今日はイスラム教の勉強をしていて、無宗教の僕が、この事は忘れているかもって思ったことを一つご紹介します。

皆さん、ご存知かと思いますが、イスラム教では、五行六信というコーランで定められた、ムスリムにとっての義務があります。

詳細については、後日、ご紹介出来たらと思います。
 
今日は五行の内の一つ礼拝について。

テレビなどで見られた方も居られるかと思いますが、ムスリムは1日5回の礼拝が義務づけられています。

この1日5日と聞くと、皆さんはどんな印象を持ちますでしょうか?

僕は純粋に、しんどそう。。って思いました。

皆さんも同じ様に思われるかもしれませんね。

日本人は無宗教の方が多いと思うのですが、今の僕たちの送っている生活は当たり前のように、思っている節があると思います。

ですが、彼らからしてみると、この当たり前の様な生活もアッラーから頂いているという意識を持っていて、感謝し、生活を送ります。

ですので、1日5回の礼拝も当然のことなんですよね。

ですが、少し思ったのは無宗教の僕達(日本人)が当たり前のように送っている生活の中で、常に満足できているでしょうか?

日本には、モノや食料は溢れています。

ですが、その物質的豊かさの反面、精神的な豊かさはどうかなって。

モノや社会システムは満たされているのに、自らを傷つける人も沢山います。

日々何気なく送っている生活について、僕たちは『当然送れるもの』と思っている様な気がします。

改めて、今ある環境に感謝すること。

イスラム教の勉強を通じて非常に大切な事だと思いました。