スリーピングムスリム

先日、友人より、東京出張の話を聞いた。

今後京都で活動を行うに当たって、次に繋がる大成果を上げたとの話を聞いてテンション上がった(笑)

その話の中で、とあるモスクに訪問した際の話が非常に興味深いものであった。

東京にもモスクはある。

友人はモスクへ行くと、沢山のムスリムが祈りを捧げていたという、そして見学だけのはずであったが、流れで喜捨と礼拝も行ったとのことであった。

60名程のムスリムが祈りを捧げていたのだが、その中の5名程が日本人女性との事だった。

おそらく、ムスリムと結婚し、改宗した方達だろう。

礼拝はキリスト教で言う日曜礼拝のようなもので、説法も行われたとの事だった。

その説法はこのような内容であったそうだ。

イスラーム=従うこと

世の中の全てはアッラーの決めたことに従って動いている。太陽は必ず東から昇って西に沈む。

ただ唯一神から自由を与えられたのは人間だけ。

神を信じる自由、信じない自由がある。

神を信じないってことは、神は人を作り育てた存在なので、自分の両親に俺は親なんか知らん、親に育てられてない!って言ってることなので、それは神(親)も子も悲しいでしょ?って。

この説法の印象としては、最終的には、感情へ問いかけているところが、どこか可愛らしくもあり、さっぱりとしていて、シンプルでいいなって僕は思った。

だが、友人は、この説法の前にイラン人事務局の方からスリーピングムスリムについての話が非常に興味深い話だったと言う。

この話については僕も、非常に興味を持った。

スリーピングムスリムムスリムから見た日本人

日本人はクリスマスにパーティを行い、除夜の鐘を聞いて、神社にお参りに行く。

つまり、宗教において寛容な民族。

イスラム教も他宗教には寛容である。
アラブの街などでも、複数の宗教が共存している地域が多数あり、また、他宗教との婚姻も可能。

神の存在についても共通点がある。

例えば、命がつきそうな時に僕らは何に祈るだろうか?

もっと言えば、何を思い浮かべるだろうか?

キリスト教徒であれば、キリスト。

ヒンズー教徒であれば、シヴァ神など

日本人って、無宗教の方が多い(僕もその内の一人笑)釈迦や弥勒を思い浮かべる人はなかなか少ないように思う。

となると、具現化したものでなくて、光とかなにかが思い浮かぶかもしれない。

この感覚はムスリムも同じで、アッラーという一神がいるのだが、その存在は確認することができない。

ムスリムも命が尽きる時は差し込む光をアッラーだと認識するという。

この辺りも非常に似ているとムスリムは言う。

つまり、日本人達は『感覚がムスリムと似ている』=『スリーピングムスリム』だという話を聞いたとのこと。

以前、僕も、ざっとイスラム教について勉強したが、非常にシンプルで良い印象を持っている。

僕もスリーピングムスリムかもしれない(笑)